芸術に宿るアートマンの顕現

インドのお祭りでプジャ

芸術に宿るアートマンの顕現

 

アートの語源はサンスクリット

 

先日、私の書いた『ヨガはアートの真髄』というブログ記事をFacebookに添付投稿した際、その文に対するコメントとして、画家であられる、斉藤かおるさんより、

『アートの語源はアートマンから来ているので、そうですよね!』

との言及を頂き、『なるほど。そういわれてみれば、それはそうに違いない』と、思えたのと同時に多大なインスピレーションを頂き、そうなった私の経緯も含めて、今回の追記文を書くに至ったのです。

 

まず、そもそもの私の認識では、アートという概念西洋由来であり、その源は、ラテン語の “ars” から来ており、技術と学問という意味である。

という解釈、認識の基、私はアートという概念をそのように捉えていた為、

 

そうでしたら..

 

ヨガもそうである。

正にアートである

 

と、長年その様に感じており、そのことから、文章としてヨガとアートに関しての極私的な考えや思いを『ヨガはアートの真髄』という文章として表したのですが、

 

『アートの語源はアートマンですよ』

 

と伝えられ

 

(その説の出所は、彼女の通う大学のサンスクリット語のインド人の教授という事。現在、彼女にお頼みして教授に出典先の確認をお願いしていますので、分かり次第シェアー致します)

 

よくよく考えてみると..

アートという言葉や概念の起源(ars)であると私が思っていた、ラテン語の起源そのものがサンスクリット語であり、アートという言葉の概念アートマン由来である。という、その事は、私の魂に戦慄が走るセンセーショナルなことでもあり、それは、ストンと腑に落ちることでもあったのです。

勿論、言語学的な見解として、ヨーロッパ圏の言語である、英語やフランス語の源であるラテン語が、サンスクリット語由来である。ということについては、前々より重々承知していた私なのですが、

まさかアートの語源がアートマン由来という、その関連性への気付きについてには思考のリンク無く、そこには全く至っておらず、そのことは、ヨガを28年間行じてきた私からすると、

正に灯台下暗しともいえ、改めてその事を気づかせて頂いた、斉藤かおるさんにこの場を借りて感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。

 

 

アートの語源、アートマンについて

 

アートマンとは、サンスクリット語で「真我」「永遠の魂」という意味を持つ言葉であり、インド哲学の古代ブラフマイズムや、その正統継承学派であるヴェーダンタにおいて、教義の中核をなしている概念であり、個人の本質的な自己(魂)や、万物の本質と見做されている概念なのです。

 

世の優れたアート作品が、真実や智慧を表現しており、それらに触れる者に、魂レベルで霊的な影響を及ぼしている。ということ。

そのことは正に、アートマン(魂)の顕現(現れ)であるということ。

 

難解なので、更にわかりやすく私的な注訳を差し込むならば..

優れたアートと、それを観ている者の魂(アートマン)が、本質的に同じモノであるが故に、互いに共鳴し合い、戦慄が走ると共に魂が揺さぶられるという、そのことこそが、アートマンの顕現(現れ)ということなのです。

✴︎ このくだりについて想いを馳せれば、オールタイムで私は感銘を受け魂が震えるのです..

また、それこそが、アートの本質であり、魂に影響を及ぼす。というそのようなもののことをアートと呼ぶのである。といえるのでしょう。

 

それらを踏まえ考察するに至るならば、

アートマン(自身の魂)ブラフマン(大宇宙)を融和させ一体化してしまう。

『梵我一如』というヨガの境地の行いとは、

やはり、アートの本質であり、

アートの中のアートであり、即ち、

 

『ヨガは究極のアート』

 

と呼ぶに、やはり

相応しいのである。

 

✴︎ 今、私は戦慄、感銘と共に魂震わせこの文を書いております..

 

 

梵我一如について

 

『梵我一如』は、サンスクリット語でब्रह्मात्मैक्यं (Brahmātmaikyaṃ)

ブラフマーマター・エーカトヴァムという言葉で表され、その意味は、『ブラフマンとアートマンは同じものである』というものです。

また、その出典はインド哲学の中核思想であるウパニシャッド聖典の幾つかの本中に幾度も表されており、

『梵我一如』その言葉は、正にインド哲学やヨガの本質を現した概念なのです。

 

अद्वैत वेदान्त / Advaita Vedanta

アドヴァイタヴェーダンタ

不二一元論

 

こうしてみると、『梵我一如』という言葉の概念とは、ヨガを含むアート全般においても、抽象度でいうところの一番高い概念となり、また、その抽象度が高すぎるが故に、極めて理解しがたきものであり、

そのことを示しているインド哲学のヴェーダンタの教義では、『梵我一如とは言葉や概念で完全に捉えることのできないものである』とされているのです。

 

しかしながら、そのことを敢えて現代のヨガやアートに投影してみるのならば..

 

 

現代ヨガとアート

 

ホットヨガ、ドックヨガ(犬)、医療系ヨガ、キッズヨガetc..

という、ありとあらゆる様々な現代ヨガは、ヨガの本質である梵我一如という概念に対して、抽象度の低い概念に当たる。ということになります。

それは世間一般に普及する為に、より理解しやすくわかりやすい形にしたが故の、抽象度の低さであり、また、ビジネス戦略的にもわかりやすいモノでなければ売れないという主張が通り、その風向きの方角へとアーティストや制作サイドも流される。という背景をも露わにするのです。

 

またこのことは、様々な現代アートに関しても言えることであり。

その様な風潮を観て私が思うことは、現代アート、現代ヨガ共に、抽象度を下げることはもちろん良いとは思うのですが、(私も現にそうしていますし)それらに関わる関係者アーティスト達は、

『魂』という高次の尊いモノを扱う立場にいるのだ

というアートの本質的な認識を持たれることで、自身が関わるプロジェクトに対して、より深いレベルで想像性を高めゆくこともできるのではないか。そして、そのことは文化的な社会の豊かな発展や進歩につながるのではないかと思うのです。

 

魂を扱う真のアーティストとは、文化的な社会のアンテナ、謂わば感受性の象徴であり、彼らの感性とヴィジョン、そしてその表現は、私たちの感性や想像力を刺激し、内面的にも深い意味を与えてくれたり、単なる物質的な豊かさとは異なり精神的な高次の豊かさを私達にもたらせてくれるという意味においても、彼らの存在自体が尊いのです。

 

 

アートと瞑想に関する考察

 

自由奔放に映るアートやヨガであるが、その実のところはであり、規律である。枠内に於いての魂による自由な表現なのである。

また、感受性や想像力、洞察力、集中力、修練、卓越した技術などが不可欠であり、その創作に於いて芸術家は常に完璧を求めており、このあくなき追求自体が聖なる精神的な修練でもあり、そのことは私のヨガに対する姿勢にも通ずるのです。

✴︎ 上記表記内容に於いては、アートの範疇に於けるクラッシックなもの全般の事を指しております。

 

型から入り熟練し型から出るなら良いのだけれども、付け焼き刃の型無き型は型無しで、とどのつまり行き詰まる

なぜならば、芸術とは修練に積む修練に折り重なった、卓越した技術の上に成り立つ神技なのだから..

 

と言い切ったものの..

AIや電子機器の急速な進化により、アーティスト側の技術的な負担を激減させ、より感覚的でコラージュ的な製作プロセスを待つ作品を、インスタントに量産できる時代の到来、その事を、様々なアートの枠組みの中で観られる今日なのである。

しかし、近未来的に考察するのであれば、AI単体によるアート作品は、増加の一途を辿るのであろうし、

それ故に、古典をベースとした卓越した技術に支えられたヨガや音楽、伝統芸能などの生身の身体が織り成し紡ぎ出すアートは、再評価が高まり、年を追うごとに、その貴重性が増す日も来るのであろう。

そして、クラッシックな芸術家が創作する過程は、魂の表現の過程であり、その点においても、ヨギの瞑想法であるシャマタ瞑想(日本語: サマタ、集中を核とする系統の瞑想)と類似しているどころか全く同じであるといえるのである。

 

 

芸術家の意識は作品の一点へと注がれ、その集中の深まりと共に感性は高まりゆく..

また、同じくして雑念は吸収され、その代わりの静寂が拡がりをみせる為、行き場を失ったエゴは段幕の裏へとその身を移し、その空いたスペースはクリエイティビティーを練り上げる為の medium(媒体)となるのである。

そこでは魂の声なき声に呼び込まれ聖なるインスピレーションの閃きにより、更なる創造性が降臨し芽吹くのであり、

自身を忘れ没頭し、極限の集中と没入の静寂の中で、至高の自己は輝きをいや増し作品と創作行為と魂が融和する三位一体のイニシエーションの中で、アートマンの顕現は作品へと継承され、そのアートに魂が宿るのである。

 

そのような純粋な魂の表現こそが

 

それに触れるものの魂を震わすのである

 

 

Hari Om

 

坂東イッキ

 

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画像は2011年、南インド、カルナータカ州フブリにあるグルジの実家のある小さな村のシヴァラトリ祭にて、夜通しのプジャ(儀式)に備えて禊を行うグルジと私。

 
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ヴァイクンタヨガ沖縄について

 

ヴァイクンタヨガ沖縄は沖縄県那覇市・国際通り沿いにて、18年の永きにわたり人々から愛されている会員制の老舗ヨガスクールです(ゆいレール県庁前駅より徒歩5分)

ヨギである坂東イッキをはじめとする、ヨガを愛して止まない練習熱心で経験豊富なインストラクター陣が、老若男女、初心者から上級者まで、個々のニーズに合わせた多彩なプログラムを用いて、どなたにもわかり易く上質なヨガの技術をお伝えさせて頂いております。

オススメは、ココロとカラダを健康に導く為のオリジナルメソッド・ヴァイクンタヨガのクラスです。

また、ヨガ資格の取得をお望みの方には、国際基準RYT200全米ヨガアライアンス認定のヨガインストラクター養成講座をご用意しております。また、質の高い個人クラスとしては坂東イッキのプレミアムパーソナルヨガコースをご用意しております。

騒々しい那覇国際通り沿いとは思えない程の、凛としたスタジオ空間の中で、心身共の健康をヨガでサポートさせて頂きます。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。