アサナロジー第3階層/自己探究の道上のアサナ

脳波測定システム

アサナロジー第3階層/自己探究の道上のアサナ

-幾何学的秩序に従い構築された-

 

 

はじめに

 

現代において、アサナという枠組みの中で行われていることは、非常に残念なことに実に無秩序なのである。

その、秩序無きアサナの世界を幾何学的秩序に従い分類し、4階層に分けて規律立てたアサナの法則を、『ヴァイクンタヨガ・アサナロジー(アサナ学)』として、ヨガ愛好家のみなさまにお伝えしようと私は考えているのである。

そして、アサナロジーの枠組みは、4つの要素を主題としているのであるのだが、今回は以下の3つ目の階層について明らかにしていきたいと考えているのである。

 

3. 三つ目の階層の主題としては、ヨガスートラに基づいた修練であるということから、当然ながら、アサナとは自己探求の道であることが求められるということ。そして、一つ目の主題であるケガの無い、美しく正しいアライメントでポーズを取るだけでは、単なるエクササイズであり、それはアサナでは無い。自己探求の道上に在るアサナの在り方を明瞭に示すということ。

 

この Asanalogy シリーズは、ヨガを始めたい方や、既にヨガをされている方々、全てのヨガラヴァーズを対象としており、自身のアサナ練習やヨガ講師としてアサナを伝える際の基準に、そして、アサナというものの本質を理解して頂ける良き機会となる事を望んでいるのである。

 

 

本文

 

私のヨガ考察ブログのアサナシリーズの3本目である前回の投稿にて

 

『アサナロジーにおけるアサナ学習の第1階層4つの法則』

 

を示したのであるが、文末のあとがきの方に、『これら全てのアサナの法則に従ったポーズは、アサナでは無く、あくまでもポーズであり、美しく、怪我の無い、正しいアライメントに従ったポーズである。』

と言及したのではあるが、そのように、『アサナの方がポーズより高い概念である』と私が定義づけるのであれば、私はそのことを明確に示す必要があるということであり、そのことについて『自己探究の道の上における、真なるアサナの取り方』を明瞭に今回は示したいと考えているのである。

 

まずは、『ポーズ』と『アサナ』の違いを以下より示すに当たり、誤解や混同を招かないように以後この文章では、『ポーズ』と『アサナ』という様に呼び名を付け明確にその違いを表しておくことにする。

 

 

アサナロジー第1階層とは、ヨガ解剖学の範疇で観られる現象に関しての規律であり、

アサナロジー第2階層とは、ヨガ生体力学の範疇で観られる現象に関しての規律である。

 

しかし、この、アサナロジー第3階層とは、西洋の学問には無い範疇の現象に関しての規律であり、

それはヨガ哲学だからこそ、扱うことが可能となる範疇の現象に関しての規律なのである。

 

 

アサナとは?ポーズとは?

 

さて、実際に、私の生徒の内、初心者が取っているアサナはアサナでは無く、ポーズであり崩れたポーズである。

巷のインスタ投稿に上がっているポーズの殆どが、有名無名、講師生徒関係なく、正しきアライメントの理論を持たない、若しくは精度の低い、その崩れたポーズであり、

私の弟子の中級者から上級者や、インスタ投稿、ヨガの本で、ごく稀に見かける、亭良くまとまったポーズは、形の良いポーズであり、しかしながら、それらもアサナでは無い。

 

では、ポーズとアサナ、一体何が違うのかであろうか?

 

アサナがポーズの上位概念であるというのならば、私はその特色を示さなければ成らないであろう。

 

 

ポーズ構築の基盤バイオメカニクス

 

ポーズは初めに生体力学があり、その最高潮に達する際にもバイオメカニクス的(生体力学的)に到達し、生体力学に終わる。

ポーズには一貫して、生体力学が存在しており、それは身体文化である。

 

そして、ポーズ構築に関しての技術の基盤となる、ヨガ生体力学にも濃淡が有り、その濃淡とは質である。

質の高いバイオメカニククス的な観点を持ちポーズを取り教える、極々少数の者たち。そのような観点を多少持つものの依然として、その思考構造は混沌としている者たち。そして、そのようなものを持たぬ者たち。

 

また、身体文化の範疇においては、骨格筋の身体に息を吹きかけることにより、それらの間の交渉は、よりスムースに深まるのであり、

そのことは、骨格と筋肉の肉体のために、体と呼吸と心の組み合わせを用いているということに他ならない。

そして、それらのこともまた、身体文化の範疇なのである。

 

しかし、ヨガは身体文化を超える必要がある。

 

ポーズの完成のみへの虚しい執着を源とした、身体構造や身体文化に固執するのでは無く、真なるヨガの叡智とは、バイオメカニクスの域を超える必要があるのである。

 

では、次項ではヨガの経典を用いてアサナの在り方を紐解いてみよう。

 

 

経典ヨガスートラのアサナの在り方

 

ヨガの根本経典である聖パタンジャリのヨガスートラ経典の中でのアサナについての言及は、第2章の第46節から第49節までの4節のみに留まっており、アサナの具体的な取り方についての説明に関しては、一言も言及されてはいない。

なぜならば、この時代においては『ヨガ=瞑想』の時代であり、アサナとは、瞑想を達成する為の座りポーズという概念でしかなかったのである。

 

さて、パタンジャリは瞑想する際の準備段階として、アサナをどの様に取っていたのであろうか?

 

この当時のアサナとはシッティングポーズ(座位)であり、姿勢を正した座位のセットアップ後は、直ぐ様、その意識を身体より離し、そのフォーカスポイントを呼吸へと移していたであろうと考えられる。

なぜならば、4節のアサナへの言及後の第50節からは直ぐに、プラナヤマ(呼吸法)の解説がスタートしているからなのである。

そして、呼吸の調律が完了し、呼吸が落ち着いたセットアップ後は、心の作用も落ち着きをみせるため、瞑想者はそこから先は、自身の魂へと続く道のりを進むことになる。

また、瞑想者は一旦セットし終わった、呼吸や身体の調整に意識を戻すことはなく、その自身の内面世界への旅路とは一方通行である。

そのことは、現代の瞑想法の行程と、なんら変わることのないダイレクションや進行順である。

 

しかし、現代のアサナヨガとは、5呼吸程で次から次へ、ポーズからポーズへと意識が渡りゆく行程を取る。

つまり、短いターンで、ポーズからポーズへ移り行く中での、

意識の振る舞いとは、身体(ポーズ)と呼吸の間を行ったり来たりの繰り返しであり、それより先の領域に足を踏み入れることは無いのである。

 

そして、クラスの最後の、あっという間の5分間のシャヴァーサナの中で、

私たちは深みのある内面世界の自己探究の道を、どこまで行けた経験を持つのであろうか?

 

そのことは、現代ヨガとはバイオメカニクスを基盤としたエクササイズであり、それは身体文化の範疇であることを示唆しているに過ぎないのである。

 

 

内面世界、同期のためのインターフェイス

 

私たちが日常で、別々の規格を持つ2台の電子機器を接続する際には、その間にインターフェイスを媒体として用いるのであるが、それにより2つの電子機器はリンクし、互いが情報をやり取りしながら相互作用をスタートさせることができるのである。

 

さて、私たちの身体と呼吸と心は、一体どの様なインターフェイスを有しているのであろうか?

 

古典ヨガのアプローチにおいては、身体と呼吸と心がインターフェイスを持つために、通常とは異なる未知なる領域を紐解くことが必要とされている。

 

そのことは、

 

身体のために何をどのくらい行うのか? 

呼吸のために何をどのくらい行うのか? 

心のために何をどのくらい行うのか? 

 

という事では無く。

 

それら3つの部位が、お互いのために何をどのくらい行うのか?

という、私達が思いもつかない様な事柄が課題となっているのである。

 

そして、3つの部位にインターフェイスが備わることにより、自動的にその相互機能は開始されるのであり、

それらがどれだけ互いに作用するかによって、あなたに対しての、ヨガのベネフィット(利潤)は決まるのである。

 

そのように、古典ヨガの叡智とは、実はそれらの深い相互作用に依存しているのである。

 

 

サットヴァ基盤の精神的修練

 

また、その様なヨガのベネフィットを得ようとした場合、その準備段階として、オンザマットでヨガを行う際、『落ち着いてアサナを取る』という練習をしておかなければならない。

 

まずは、比較的簡単な、あなたの得意なポーズを取り、落ち着いてそのポーズをできるだけ長くキープしてみること。

しかし、心が落ち着いていなければ、身体的に不足を感じなくとも、一つのポーズを長く取ることはできない。

 

例えばシャヴァーサナの様な、身体的に不満のないアサナを取っていたとしても、その人の心に落ち着きがなければ、そのアサナに長く滞在することができないことは、あなたも十分にご承知のことであろう。

 

すなわち、普段の練習から、楽に取れるアサナ行う際には、速る心を制して、できるだけ長くポーズに留まることができるようにプラクティスを心がけること。

 

このことは自己探究の精神的な学びのエントランスとなるのである。

 

 

なぜならば、ヨガの理論面を受け持つサンキャ哲学において、現象世界のすべての物質は、ラジャス(激質)、タマス(暗質)、サットヴァ(純質)という、物質界の3つの本質に属していると説かれており、

ポーズのステージにおいては、ラジャスを用いて、タマスを取り除き、その空いたスペースにサットヴァを呼び込むのである。

しかし、この、アサナのステージにおいては、ラジャス、タマスの双方共に全く役に立たず不必要であり、サットヴァ以外は通用しない世界なのである。

 

ラジャスに逸る心を落ち着け、怠惰でタマスな心を制した、

静寂なサットヴァの中で、一つのポーズに長く滞在すること。

 

そのことは、聖パタンジャリの規定したアシュタンガの8つの段階においても、同様に云えることであり、プラナヤマ以上のハイアーステージにおいては、ラジャス、タマス共に通用することのないスピリチュアルな領域なのである。

 

 

長いポーズと短いポーズ

 

さて、ヨガポーズには、短いポーズと、長いポーズがあり、

例えば、ウッティタトリコナーサナは短いポーズである。

 

仮にトリコナアサナやダウンドックを、私が行なっている様にポーズにプラナを纏わせ、完璧なアライメントで取るとしよう。

もし、20分間ポーズを取り続ければ、やり切れないであろうし、また、やり切れたとしても、間違いなくケガをするであろう。すなわち短いポーズである。

 

そして反対に、サーランバシルシャーサナ(ヘッドスタンド)は長いポーズである。

正しいアライメントで20分間取ったとしても、なにも問題ないのである。

 

この事については、初心者の方々には、理解出来ないことかもしれないのだが、ヨガ上級者の方々は、大きく縦にクビを振り私の意見に賛同を示すであろう。

 

 

アサナトライアル

 

 

 

ポーズ選択 A ポーズ選択 B
初心者

① スプタバッダコナーサナ

or

② スプタヴィラーサナ

なし
中級者

① スプタバッダコナーサナ

or

② スプタヴィラーサナ

③ プラサリータパドターナーサナ
上級者

① スプタバッダコナーサナ

or

② スプタヴィラーサナ

④ サーランバシルシャーサナ

 

 

ポーズ選択 A

 

さて、今回の主題である『ポーズでは無く、アサナを取る』というお題の為のアサナとは、長いポーズである。

そして、快適ではなく、困惑するような難しいアサナの体勢では、慣れないうちは教育を受けることは不可能であることから、

まずは、ポーズ選択 A として、初心者から上級者までの誰もが、簡単、快適なポジションでポーズを取ることができ、長時間、持続可能である、① スプタヴィラーサナ、② スプタバッダコナーサナ の二択のうちからポーズを一つ選択し、そこから学びを深めて行くことをお勧めする。

また、アサナトライアル参加者は、ボルスター、ブロック、ベルトなどのヨガ補助具を用いると良いであろう。

双方のアサナアライメントのアドヴァイスとしては、ボルスター、ブロックなどを用いて体幹部である、胸郭と腹部に十分なスペースを確保すること。また、仰向けに寝ている体勢において、腰部が剃った状態では、反対面である腹部は天井サイドに押し出され硬直化する。硬い腹部とは、脳がリラックスすることなど無いというサインであるが故に、腰は剃り過ぎないように充分に注意を払うべきである。

2ポーズ共に、目は軽く閉じ眼球の奥を観る様にセットする。また、脳は受動的かつ、感受性を高く保つ必要がある。

 

 

ポーズ選択 B 

 

ポーズ選択 B では、中級者と上級者用に、以下の長いポーズをお勧めするのである。

中級者には、③ 立位 : プラサリータパドッターナアサナ、上級者用には、④ サーランバシルシャーサナをお勧めするのである。

④のアサナを取れたとしても、アライメントが正しく取れなかったり、グラついたりして15分以上安定を保てない様であれば、③のアサナを選択するべきである。

また、ポーズを取ることには自信があるが、『ポーズを取ってから、じっとしていられない』という性分の人には、負担なく楽過ぎるポーズよりも、少し負担のあるポーズの方が落ち着いてその場に滞在しやすい。という方もいらっしゃると思うので、その様な方は、こちらの2つのポーズから選出されると良いであろう。

2つのポーズ共に、目は目線の高さで一点に集中しつつも、視野を広角に保つ必要がある。しかしながら、それはあくまでもリラックスをベースとした集中でなければならない。また、脳は受動的かつ、感受性を高く保つ必要がある。

必要に応じて、ブロック、ベルト、ボルスターなどのヨガ補助具を用いると良い。

 

 

アサナトライアルの5つのステップについて

 

では、以下にアサナを取る行程を書き出していこう。

 

  • 1stステップ 熟練度に併せて、① or ②、または③ or ④のポーズの中から一つを選択し、ヨガロジーの4つの法則に従い、ポーズを完成さる。ポーズは出来るだけ長い時間キープし、(最低15分以上)その中で、以下に示す今回のアサナトライアルを行う。
  • 2ndステップ 身体、呼吸、心という3つの部位、それぞれに対して、あなた自身との同一視を実行し、それぞれに対しての交渉と考慮事項に関する変化の違いを観察し精査、分析する。
  • 3rdステップ 供給者としてでは無く、恩恵の享受者としての呼吸と心の在り方を実践し、観察し、精査、分析することにより、インターフェイスが設定され、各3つの部位間の同期が完了する。
  • 4thステップ 3つの部位のコミュニケーションを容認するこにより、3者間での自動的な相互作用がスタートする。お互い同士がベネフィットを貰い与え合う様子を観察することにより、あなた自身も恩恵の享受者となり、アサナの完成を観る。
  • 5thステップ 最後にシャヴァーサナを行う(10分)

 

アサナトライアルとして、上記の5つの段階を示したのであるが、行程として1から5までを順番通りに必ず行う。というものではなく。最初と最後の行程である1と5の項目に関しては必ず行なって頂きたいのではあるが、

2、3、4の各項目に関しては、『参加者が、その項目をマスターできた時点で、次の項目を加えていく』というような、熟練度に応じた学習の流れになっている。

例 : 初期段階では1、2、5 の行程。中期段階としては1、2、3、5。最終段階は1、2、3、4、5 といった具合になる。

 

 

では、次項よりヨガポーズのセットアップについての解説を行なっていこう。

 

 

アサナロジーにおけるアサナ学習の第1階層4つの法則

 

アサナアライメント(基準、ルーラー)
▶︎② アサナアセスメント(判断、評価)
▶︎③ アサナアジャストメント(調整、修正)
▶︎④ アサナデベロップメント(改善、向上)

 

 

アサナトライアル 1stステップ

– ポーズ構築とマインドのセットアップ –

 

まずは、身体を正しいポーズのアライメントにセットしなければならない。

腕の良い料理人が、仕込み作業を無駄なく順序良く、手際良く、その行程を卒なく素早く行う様に、熟練したヨギは脳内に在るポーズアライメントの設計図に照らし合わせ、卒無く素早く、完璧にポーズを組み上げるのである。

そのためには、ヨガロジー第1階層で私が示した上記の、4つのアサナの法則に従いポーズを取られると良いであろう。

 

その様にして組まれた熟練者が取る完成されたポーズとは..

例えば、それがヘッドスタンドであったとして、

仕上がったポーズから意識を離したとしても、それは安定に留まり続け、正形を崩ずす事は無い。

 

内面世界であるクシェートラ(フィールド)は肉体の領域だけでは無いのであり、いつまでも意識をポーズに留まらせる、その姿は執着と呼ばれるに過ぎ無く、其処に居る必要など無いのである。

そのことは、材料を手際よく洗った後に、その作業から離れ、素材を切り揃えに行くように、ポーズが完成したら、そこから離欲するだけの事なのである。

 

身体から完全に意識を一度切り離し、フォーカスポイントを呼吸に向け整え、調律して行くのである。

また、その際のプラナヤマアライメントの基準は体内感覚と、音である。

その呼吸にウジャイは用いず、初めのうちは無理の無いゆったりとした、できるだけスムースな呼吸を行い、そのうちに呼吸のための骨格筋が思う様に動いてきたら、次第に深くて大きくスムースな呼吸へと移行していくのであり、呼吸とはそのようにデリケートに扱うものなのである。

また、呼吸する際、ポーズをキープするための骨格筋と、呼吸で使用する以外の骨格筋に緊張や圧をかけない様、それらに洞察の目を用いて微調整をかけて行くことも重要となる。

優れたヨギは身体を楽器と捉え、優れた音楽家の匠な演奏のように、呼吸音と体内感覚を頼りにダイナミクス、ベロシティ、アタック、フェージング、ブレス、ピッチ、タイミング、リズム、フレーズ、音色、タッチを、必要に応じ巧みに使い分け、呼吸に関与する骨格筋に対し調整、微調整を掛けて、その呼吸の質を高めて行くのである。

 

 

呼吸とはプラナの数ある振る舞い、挙動の内の一つであり、プラナとは風である。

そして、風神ヴァーユの子、猿神ハヌマンはプラナの象徴であり、それ故にプラナとは、肉体や心よりも上位概念とされる尊いものとして、インド哲学では見做されてきているのである。

 

西洋、インド共に高尚なクラッシック音楽の世界では、あらゆる楽器の中で、肉声こそが一番高尚なモノ、神に近しいモノとされてきたのだ。

それは、ハヌマン神の息であるプラナを声帯の肉門に通し波動を与え、口鼻腔で共鳴させ増幅させたものであり、

神聖ハヌマンの声であるが故に、崇高なのである

 

また、ハヌマンは我々のカラダとココロを繋ぐ神風であるが故に、

呼吸は、身体と心のナラ・セットゥー(架け橋)なのである。

 

さて、プラナヤマのセットアップを手早く終了すれば、心の作用も幾分落ち着いているのである。

ポーズの時と同じく、そのクシェートラに留まり続ける必要は無い。

 

今、ポーズは完璧に仕上がり、心身の調律は完了したのである。

 

 

アサナトライアル 2ndステップ

– 身呼吸心との一体化 –

 

常日頃のオンザマットのヨガにおいて、あなたは身体を駆使し、コントロールしてポーズを構築している。

四肢や体幹をコントロールし、ある時には、足裏の外側になりマットに押し付け、トルクを効かせグリップさせ、そこを起点とし母指球になり、大地を点で突いた後には、足の指々となり、それらにベクトルを持たせ突き伸ばし広げる。

または、胸をオープンにする際には胸部となり、二の腕になり、指先になるのである。

その様に、あなたはあなたの体と同一化しようと努力して、アライメント通りに成る様にポーズを組んできているのである。

 

つまり、あなたはその時、身体なのだ。

 

そのことは、自身を自身の体と同一視するとき、つまり、あなたが体であると認識するとき、

あなたは行動者であり、あなたは肉体ということである。

 

しかし、ポーズをアサナにするためには、あなたは行動者ではなく、

そのハイアーステージにおいて、あなたは俯瞰的な観察者になるべきなのである。

 

 

しかし、ものには順序があり、そのために

 

あなたの体との一体化ではなく、

まずは、あなたの呼吸や心との一体化を試みて頂きたいのである。

 

自身があたかも呼吸しているかの様に、あなたは呼吸を自身と同一視、呼吸と一体化している時、あなたは呼吸の実体となる。

自身があたかもココロであるかの様に、あなたは心を自身と同一視、心と一体化している時、あなたは心の実体となる。

 

そして、体、呼吸、心、というそれら3つの各部位との同一化で、何がどのように変化するのかを精査、分析し理解することが重要となるのだ。

 

そこには、3つの異なる交渉と考慮事項が存在するのである。

 

あなたが体の時、他のパートとの間では、どの様な交渉が行われているのか?

そして、なにを考慮するのか? 

 

あなたが呼吸の時、他のパートとの間では、どの様な交渉が行われているのか?

そして、なにを考慮するのか? 

 

あなたが心の時、他のパートとの間では、どの様な交渉が行われているのか?

そして、なにを考慮するのか? 

 

さて、これらは、ポーズのニュアンスではなく、ヨガアサナのニュアンスなのである。

 

なぜなら、ポーズにおいて、あなたが身体と同一視している場合には、身体的な影響とバランスや重力を考慮するべきであり、

呼吸や心と同一視している場合とでは、その考慮や交渉は違ったものになるはずである。

 

したがって、ここでは交渉と考慮事項が、どの様な色合いを持ち、どの様に変化をしているのかを、この実践から学んで頂きたいのである。

 

なぜならば、それはヨガの真摯なる練習生として、新たなる階層に行くためのキーであり、

そのためには、あなたは体だけでは無く、呼吸や心と同一視できなければならないのである。

 

それは、あなたにとっての表層的では無い、深層的なヨガ修練の幕開けを示唆している。

 

 

アサナトライアル 3rdステップ

– インターフェイス設定 –

 

さて、2ndステップにおいては、あなた自身が体、呼吸、心と同一視、それらとの一体化を試みる実践を行なって頂いたのであるが、そのケースにおいては、あなた自身の意識は当然ながら、それらそのものであり、意識は三者の内の誰かの中に埋没していたのである。

 

しかし、今回の 3rdステップにおいては、体、呼吸、心との同一視を解き、

体、呼吸、心を客体化(対象と見做す)して観察してゆくのである。

 

謂わば、山の高みに立った俯瞰的な目線から三者を目撃、観察してゆくのである。

 

その観察の中において、ポーズの時とは違い、ヨガアサナでは、どの様な異なった視点を見出すことができるのであろうか?

 

それは、ポーズの構築において、骨格と筋肉の肉体のために行なっていた、恩恵の供給者としての呼吸を、

今度は逆に、恩恵の享受者として呼吸を行うことである。

 

2ndステップの実践を通したことにより、

体、呼吸、心の活動が、あなたには観えるようになってきている。

 

身体の各パートごとに自発的な呼吸、より深く質の高い呼吸をどの様に活用し、呼吸にベネフィットをもたらすのかを考えてみるのである。

 

それらは相互にアクティヴ化させる準備として、身体、呼吸、心のインターフェイスをより明確に設定していく過程の上にある。

 

呼吸をすることにより、体から呼吸は何を如何ほどに享受できるのか? 

呼吸をすることにより、心から呼吸は何を如何ほどに享受できるのか? 

 

自身の体や呼吸、心にできることは、それらを客体化し、それら三者の状態を理解することである。

 

 

では、そのことを可能とするためのインターフェイス設定として、

 

あなたの呼吸を監視しているシステムがあると想像してみよう。

 

あなたが呼吸を活性化しているかどうか?

呼吸にベネフィットをもたらしているかどうか?

 

を呼気的に、吸気的に、あるいは保気的な状態において、監視、精査、分析するのである。

 

また、異なったポーズを取ることにより、呼吸に対する恩恵はそれぞれ異なってくるものである。

したがって、呼吸を使用するだけでは無く、アサナを呼吸に応用することも必要であり、このことはアサナの中に暗示されているのである。

 

 

呼吸とポーズを繋ぐ為の

呼吸からポーズへの呼びかけと交渉を通した

 

呼吸がポーズから受け取る恩恵。

 

その後に訪れる

 

呼吸とポーズの同期と

相互作用のはじまり。

 

 

この行為により、呼吸と身体のインターフェイスは設定され、双方間の相互作用がスタートするのである。

 

 

 

脳波測定器

 

そして、そのことは同様に。あなたの心の方もインターフェイス設定されるべきなのである。

 

今度は、あなたの脳波を測定するシステムがあるとイメージしてみよう。

 

臨場感溢れる想像のモニターには、脳波のパターン化された波形の律動がリズミカルに映し出されている。

 

自身に脳検査がなされているかのように、脳の機能を監視し、脳へのメリットを精査、分析するのである。

 

ヨガアサナにおいて、私たちは脳を使用することができ、脳の状態にも恩恵を与えることができるのである。

 

しかし、ポーズでは、その現象が起こり得ないため、考慮されることもないが、しかし、アサナではベネフィットを享受することができるのである。

 

これらは、体と呼吸と心のセットアップであり、

今辿ってきたプロセスを応用して、身体、呼吸、心の三者を様々なアングルから交渉させ、

『呼びかける交渉側が利潤を受け取るというルールの下』で、状態を観察していくという実践をおこなって頂きたいのである。

 

その過程を根気よく行うことにより、

各パートのインターフェイスは同期設定されるのである。

 

 

インターフェイス設定後

 

さて、お勧めしたアサナは、三者が相互作用しやすい体内環境であり、ポーズなのである。

そこには、相互の呼びかけがあり、相互作用があり、相互服従がある。

それらのことを心を制し、根気よく実施することで、各部位はインターフェイスを有することができるのである。

 

しかし、単なるポーズやエクササイズでは、この様なことは起こりえないのであり、

それは森羅万象の摂理である立体幾何学の印を押したヨガのアサナであるからこそ、そのアライメントの中でヤントラ(装置)は作動し、それらはより深くお互いに結びつくことができるのである。

 

したがって、この印を利用して、

 

彼らがどれほどにお互いのために働くことができるのか?

彼らがどれほどに相互の恩人であり、相互の享受者であるのか?

 

ということを、私たちは、よくよく観察し理解する様に努めるだけなのである。

 

それは、物質主義的だったり、言語的なものの見方ではなく、あなたがどれだけヨガの恩恵を受けることができるか?ということであり、古典ヨガが提唱する恩恵、それは間接的なプロセスなのであり、体から体、呼吸から呼吸、心から心といった様な直接的なベネフィットを得られるものではないのである。

 

すなわち、ヨガのベネフィットとは、間接的に三者にもたらされ、

それは主体である、あなたにも間接的に、当然もたらされるものである。

 

それらが相互に恩恵を受け取ること。それがヨガの恩恵の真なる姿なのである。

 

 

また、私たちはヨガ練習時や日常において、これはわたしの体、これはわたしの心、これはわたしの呼吸。これはわたしの感覚。といった様に感じ、思い。考えており、

そのことこそ、あなたとあなたの体、あなたとあなたの心、あなたとあなたの呼吸、そして、あなたとあなたの感覚の間には、なんらかの関係があるということを意味しているのである。

 

つまり、彼らとの間で、既に関係を確立していることを意味しているのであり、これらの関係性を見出すべきなのである。

それらがあなたに関係している場合、それらはそれらが相互に関連していることをも示唆しているのである。

 

それらがあなたに関連していることについては、あなた自身、認識しているのではあるが、

しかし、それらが相互に関連しているということについて、あなたは全く認識しておらず、

そのことから、それらが相互に関係を育みゆくものである。

という様な見知については、今の今まで気がつかなかっただけなのである。

 

 

 

私の師とその師であるスワミー

 

想い出のスワミー

 

さて、話は変わるが、上記の写真は2000年初頭、私の師と故人であるスワミー(高僧)の写真であり、当時の二人を私が撮影したものである。

 

この写真からも読み取れる様に、私の師はこの御大に大層懐いており、当時、スワミーは北インドのリシケシより、更に上流のガンジス河沿いにある小さなアシュラム(寺)の小さな庵に独りで住んでいたのであるが、そこに私の師匠は度々、私を連れスワミーを訪問していたのである。

 

思い出すのは、私が初めてその地を訪れスワミーに謁見した日のことである。

人影など無いガンジス河を見下ろす崖の中腹に建てられた、小さな彼のアシュラム(寺院)の敷地ギリギリの崖縁沿いに彼は立っており、眼下に流れる河を遠い目をしながら眺めていたのだが、その姿には着衣なく、真鍮製の貞操帯を男性器の竿部のみに被せた、文明人驚きの立ち姿であったのである。

 

私は小声で自分の師に『あの格好はなぜ?』と尋ねると、

 

『アパリグラハ(必要以上のものを持たない)であり、その本質はサントーシャだ(足るを知る)』

 

と言われ、魂が振える程の感銘を受けたことを覚えている。

 

 

老体のスワミーは、気性の荒いところを持つ私の師とは違い、威圧感皆無の常に穏やかで英語の堪能な知性溢れる賢者であり、アサナを取る所謂、ハタヨギでは無く。ジュニャーナヨギ(哲学ヨギ)であり、ユーモアを有した生きているヤマニヤマの人で在った。

 

私が渡印の度に何度か寺を訪れるうちに、自己探究に関する質問を気兼ねなくさせて頂ける間柄になっており、その回答は物事の本質のみを端的に述べ切るという、彼の性格とは真逆のシャープなものであった。

スワミーは寺院から崖を更に3分程下った崖の横穴に、瞑想用の自然にできた洞窟を所有しており、大人四名が定員の暗がりの中で、いつも私に瞑想を享受してくれた。

 

私の瞑想の師は、スワミーその人なのである。

 

そして、彼が私に授けた個人授業内容とは以下の様なものであった..

 

瞑想のフィールドにおける、その時々の様々な課題に関する説明は事前に庵で伝えられ、また、瞑想後は庵に戻り、質疑応答を行うものであった。

なぜならば、実践の場で在る洞窟内には厳粛なマウナ(沈黙の戒)がひかれており、会話など一切無く、その教育方法は、常に黙って一緒に座り続けるというものであったからである。

ある日のこと、じっと座っていられない私の太ももに、傍に座したスワミーの手がふと置かれ、そのおかげなのか、心は急速に安定し、始めての瞑想感に没入することもできたのである。

 

それらの沈黙の中で、私は彼より多くのことを学ばせて頂いたのである。

 

しかしながら、わたしの師とスワミー。その二人の聡明な賢者達が話し出した際には、傍にいる私がシャシャリ出て彼らの対話を遮ったり、邪魔することなど一切無く、またその様な場で私が自ら何かを喋り出すわけでもなく、その様な必要など全く持って無用であり、そのことを私は重々承知していたのである。

そのような時、私は賢者達の言葉を一言も聞き漏らさぬように、至近距離で静かに聞き耳を立てるだけの傍観者であり続け、またその様に私が在ることにより、その場に佇む三者から発せられるサットヴァなハーモニーのヴァイブスの中において、

賢者達の会話を、ただただ共有させてもらうことにより、私はそこから多くの知恵を得ることができたのである。

 

それらすべての出来事は、若き日の私にとっての良き想い出の課外授業であり、魂の分野に関する至福のスピリチャリティーの教育であった。

 

二名の賢者が会話を始めた際には、私たちは彼らの邪魔にならないように在るべきであり、そのことと同じくして、私たちは、体と呼吸と心の対話を邪魔するのでは無く、彼らがお互いを慈しみ育み合うという様なコミュニケーションができるよう、率先して神聖な場のセッティングに努めるだけなのである。

 

体、呼吸、心の間のコミュニケーションである相互交流を許可し、その相互作用を観察し続けること。

そうすることで、あなたはアサナの中で現象を目撃できる軌道に乗ることができるのである。

 

これはアサナの最も重要な構成要素であり、あなたは実行者ではない。

 

実行すらしておらず、完了すらしていない、あなたは単なる傍観者であり、単なる証人なのである。

あなたが実行者、完了者である場合、それは物質主義的な文化の範疇での現象としか成り得ないのである。

 

そのことから、

 

“I do asana.”『私はアーサナを行います』

“I am doing asana.”『私はアーサナを行っています』

 

というような、これら2つの構文とは、ヨガのアンチテーゼとしかなり得ないのである。

 

 

なぜなら、亜空のインド哲学や古典ヨガにおいて、

 

あなたは常に目撃することになっているからである。

 

 

そのとき、あなたの主観的な実体は彫刻され、俯瞰的であり、

 

またもしあなたが、身体、呼吸、心の相互作用を目撃できた場合、

あなたはその目撃者を特定することができるのであり、

そのことは、ヨガの核心的な部位に近づくことを示唆している。

 

そして、あなたは後々のステージにおいて、呼吸こそが、その三者の中では最も賢明で、最も知性に溢れ、最も実体であることに気付く日も訪れることであろう。

 

ハヌマンの呼吸が、知性の劣る体や心にどの様な相互対話を行っているのか? 

そこに知性の光を当て、洞察の目を向けて観察してみると良いであろう。

 

それこそが、ヨガから私達に授与される教育であり、アサナの中で、プラナヤマの中で、また全てのヨギのプロセスを行っている行程の中に見出せる、本質的なヨガの教えなのである。

 

ヨガとは私たちにとって、精神的な教育のプロセスであり、

紛れのない、私たち自身の体、呼吸、心、感覚、知性、霊性、精神、意識についての教育なのである。

 

 

人が五感で感知できないもの、認識不可能なモノ、または不可思議な現象を取り扱う際は、無形のモノを有形にし、取り扱う。という手法が、古典ヨガでは取られており、

無形のモノに形を与えることで、可視化、客体化することができ、それらを取り扱う事もできるのである。

その手法とは、目に見えない様々な現象に対して、ピッタリと当てはまる言葉や象徴、印を与えることに他ならない。

 

この私のヨガロジーに関しても、この文章においても、そのことはこのように、伝統的な古典ヨガの手法の引用なのである。

カタチなきものにカタチを与え、取り扱うことこそが、古典ヨガの手法であり、聖パタンシャリの規定したアシュタンガの8ステップにおいても、その手法を用いて、自己探求の道上における、人間の認識や経験の限界を遥かに超えたスピリチュアルな領域においてさえ、後続のヨギたちが深い探求を行うことも可能となったのである。

 

 

アサナトライアル 4thステップ

– アサナの完成 –

 

さて、インターフェイスは同期されており、すべてのセットアップが終了したところで、あなたのそのクシェートラの最終エリアである未墾の荒地に、開拓の手を差し伸べてみようではないか。

 

 

主体は常に観るものであり。

 

 

ポーズと呼吸と心の相互活動を活性化させるための

ポーズと呼吸と心による交互の呼びかけと

ポーズと呼吸と心のお互いの交渉を観るのである。

 

 

そして

ポーズと呼吸と心の相互作用を観るのである。

 

 

そこには、三者のネゴシエーションがあり

三者の相互影響を観るのである。

 

 

身体、呼吸、心の交流

そこにはどの様な相互作用が存在するのであろうか?

 

 

三者の中でのギブアンドテイク。

 

 

お互いに支え合い

お互いに与え合う。

 

 

それは、内面世界に於ける

文化性、社会性のあるコミュニティであり

それらの間で行われる対話である。

 

 

人間関係に於いて、或る人に対して、思い遣りを持ち接すること、

その様なものを持たずに接すること。

では、全く関係が変わる様に

 

 

三者は三者共に好意的に

友好的にお互いに与え、受け取り合うのだ。

 

 

三者の間に不協和音は無く

そこにはハーモニーが芽生えているのだ。

 

 

三者の愛の在るコミュニケーションを

 

内的宇宙のハイアラキー構造最上部に設置された

サットヴァに包まれたヨギの王座より

 

主体である、あなたは微笑ましく観るのである。

 

 

そして

 

 

プラサード(供物のお下がり)の受容者は、

 

常に主体でなければならない。

 

 

体、呼吸、心は

お互いにベネフィットを与え合い。

お互いにベネフィットを享受する。

 

 

そのことこそ、主体である

あなたへのプラサードなのである。

 

 

 

これはポーズでは無く

 

 

 

アサナであり

 

 

 

ポーズでは無い。

 

 

 

アサナの完成である。

 

 

 

Om

 

坂東イッキ

 

 

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✳︎ 以下に関連記事へのリンクを掲示します。
ヴァイクンタヨガ・アサナロジーについての考察シリーズです。
より良い理解の為、番号順にご一読くださいませ。

坂東イッキのアサナロジー/アサナ学-まえがき
アサナロジー/アサナの歴史的考察
アサナロジー第1階層/アサナアライメントの最重要性
アサナロジー第2階層/プラナを纏わせたアサナ
アサナロジー第3階層/自己探究の道上のアサナ

 

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