目で読むココロのお掃除!聖なる読書のススメ

ヨガ座学倫理道徳論

目で読むココロのお掃除!聖なる読書のススメ

 

以下の文は私のヨガ考察ブログの記事 ヤマニヤマ倫理道徳-実践の道のあとがきとして昨日、追記したものです。

しかしながら、当初の予定より長い文になった為、そして、内容的にも宜しいのではとの判断から、今回、普通に投稿することにした次第です。

 

本文

 

今回の私のお話の様に、魔性の怨念(タマス)や、強欲の煩悩(ラジャス)を源とする狂気の問題が、なぜ私たち人類に起こるのか?という、

その回答として、狂気的な事件を起こす人たちは、物事の善悪を判断決定する為の倫理道徳観についての、基準が狂っていることが挙げられるであろう。

そして、その改善策とは、倫理道徳観についての、まともな基準を自身の思考の軸に設置し、日常に用い実践していくだけなのであり、

また、その倫理道徳観の基準として相応しいものはどこにあるのか?という問題については、古今東西、ありとあらゆる宗教に於いて、倫理道徳はその中核思想に設置されているということ。

 

宗教に対しての偏見と、その原因であるオーム真理教問題

 

しかし、ここでまた新たなる問題点として、私たち現代日本人の殆どが、宗教に関して偏見を持っていることが挙げられるのである。

なぜならば、その大きな理由として、1990年代のオーム真理教の起こした一連の事件が、人々のココロに宗教に対する悪いイメージを植え付けたと考えられるであろう。

また、このオーム事件こそ、倫理道徳観、善悪の判断基準が狂いに狂った魔境の事件であり、そのことは、人々の宗教に対する信頼を損なわせた、大きなターニングポイントになっているのである。

しかし、もし、主犯格であった麻原に、まともな倫理道徳の基準が、彼の思考の軸に設置されていれば、あのような魔の大惨事が起こりようもない。ということを示唆しているのである。

 

すなわち、オーム真理教問題の中核とは倫理道徳問題なのである。

 

事件は会議室で起きているんじゃない!

現場で起きているんだ!(青島刑事)

 

そうです!その通りです青島刑事。ガスや凶器が落ちてる現場、そうですそこで事件は起きたんです。そして、それは現象であり、源からの投影でもあるわけです。

その源とは、麻原のココロの中なのです。本当の現場は麻原のココロの中であり、事件、起こってしまった現象はその投影なのです。

原因は、善悪の判断基準に歪みが生じ狂っている麻原のココロ。歪んだモノサシ、壊れた秤、即ち倫理道徳観の狂い。そのことから、そのオーム事件の本質とは倫理道徳問題である!と私はお伝えしているのです。

 

オーム真理教団事件を二度と起こさない為に

 

そして、あのような事件を二度と起こさないようにする為には? という点についての考察に至るならば、

個人個人が軽視しがちである倫理道徳観を重視し、自ら率先して学ぶことであり、また、学んだ事柄に対して、自身の倫理道徳観を見つめ直しアジャストメント(調整、修正)していくことが重要であり、

特に、子どもたちの教育に於いては必要不可欠であり。そのように、人の考え方、思考回路の基盤から修正を行うことにより、育成過程において、善人的な人格形成が構築され、オーム事件の様な卑劣な事件をも、未然に防ぐこともできるのではないかと思うのである。

『子供の教育大事ですよね、それって? 家庭環境が一番大切なのではないですか?』と思われる方も当然いらっしゃるでしょう。そうなのです!おっしゃるとおり、家庭です。家庭環境であり、家庭内での道徳観の教育がベースです。

だからこそ、ご家庭でお子さんを教育されている、あなたが、まず、倫理道徳に関する教養を身につける必要があるのではないでしょうか? その点についての自信はお持ちでしょうか? ご自身の設定されているその基準の秤を見直し、もしくは更に良きものしていくことも考えられるのではないでしょうか?お子さんは重比重で親に右ならえなのですから

 

私の履歴

 

さて、話の焦点を宗教に戻し、誤解を防ぐ為お伝えもしておきましょう。私自身、28年間の経歴を持つヨギであり、またヨギとは自己探求の個人の道であり、本来、宗教団体とは関係のないものです。

そして、家は代々、真言宗の門下であり、それ以外には、いかなる宗教団体やカルト、新興宗教に入信してはおらず。また、あなたをそれらの何処かに勧誘する訳ではないのです。

 

宗教は倫理道徳の宝庫

 

しかしながら、現代社会に於いて、前出の私の意見の様に、倫理道徳観の基準として相応しいと思われるものは、宗教の中に在るということなのです

しかも、宗教とはその人類の歴史に於いて、社会の中で倫理道徳を教えるという、教えを持っているのです。謂わば、このことは伝統的な文化、教育であり、餅は餅屋であり、人類の歴史の中で倫理道徳に関して、教養の深いものを扱っている処が、宗教に当たるということです。

お試しに、世界中の聖書、聖典、経典の類に目を通されてみるとお分かりになられるかと思います。道徳観念が挿入されており、それは客観的に見ても、善人を育てる為のプログラムなのです。

 

そうして、私が思うに、宗教の一番良いところとは倫理道徳の宝庫。そこなのです。

 

そういった点で、宗教に対して偏見を持たず、宗教や思想に対してオープンマインドでいることも必要かと思いますし、多様性や価値観を尊重し、共存する社会を実現することができるであろうと考えています。

また、誤解なき様にお伝えいたしますが、私は、どこか特定の宗教団体に入信を進めているわけではないのです。宗教が持っている叡智を図書から学ぶことをおすすめしているのです。

 

また、もちろん、いかがわしい、宗教団体、カルト教団の類には気をつけられるといいでしょう。そして、それらについての、いいか?悪いか?その選択に関しての正しい判断をつけられるようにするには、自身が善悪の基準を軸としてキチンと持つこと以外の方法はないのです。

 

もし、それがなければ、宗教というもに対して、偏見の目を持ち、怖がるor 反抗的になるしかないでしょう。

それは、世の中には、いい人もいれば、悪い人もいる。ということと同じことなのです。

 

そのためには、まず、ご自身が、宗教というものに対して、偏った目で見ていないか?

という確認を一度されてみることです。

 

宗教というトピックを論じる難しさとその問題点

 

この、宗教という、トピックを話として取り上げることは、このように、実は非常に面倒なことなのです。なぜならば、それだけ世間の人から、色眼鏡やバイアスの掛かった観られ方をしているものであり、

そのことは、『え、宗教?私関係ないから』という様に、もし、その方が、宗教に対して偏見を持たれている時、その方は、宗教という言葉を聞いただけで、その方の思考プロセスは停止するのです。

その反応は、恐怖 or 威嚇 の二択。そして拒否の一択。宗教という概念に対しての、拒否プロセスが思考抜きで自動的に発動されるのです。そのことは、いかにその人の学力が高く、思慮深い人だとしても同じことなのです。そして、自身の思考回路についての内省的な知識や経験を持たれていなければ、『偏見をしている』という自覚にさえ繋がる気づきを得ることも難しいでしょう。

そのことから、ヨガ哲学的な見地からいえば、『偏見とは『無知』から生じるもの』なのです。そのように、偏見とは、私たちの知性を覆う厄介なものであり、学力だけではどうにも扱えないものなのです。

 

そして、私はそのような知性や魂の輝きを覆うもの、汚すもの、または、逆に輝きをもたらすもの、それは前出の偏見のような形無き物に、意図的に形を与えて扱うのです。知性を持ち精査し、判断、評価、規律立て、無秩序に秩序を与えるという思考スキーム、それは瞑想の枠内で行われる思考プロセスであり、またそのことは、私たちが行なっている瞑想に関する技術の範囲で評価すれば初級となり、そしてそれらのことを叡智による行いと私たちヨギは呼ぶのです。

さて、話を本線にもどしましょう。私がこのように、偏見についての説明や、オーム教団の話し、自身の経歴を長々とお話ししなければ、本題にさえ、すんなりと入れないという程に。宗教に対する一般的な日本人の偏見。その点については本当に困りものなのです。そして、ここまで読んでくれているあなたにも感謝しましょう。お待ちどうさまです。本題です。

 

倫理道徳観についてのおすすめの図書

 

しかしながら、宗教については全くわからない。どれを手に取れば良いの?という方もいらっしゃるでしょうし、また、カルト教団が怖い。という方もいらっしゃるでしょう。勿論、お気持ちご理解いたします。

その様な方には、私が今回のお話の主題として取り上げた、ヨガの根本経典であるヨガスートラの倫理道徳であるヤマニヤマをお勧めいたしますし、

また、信頼と実績のある、世界宗教の中から聖典を手に取られると良いでしょう。以下、その一例です。旧約聖書、新訳聖書、コーラン、仏教経典 etc..  それらを、私自身も身近におき、時折目を通し、心、人生の指南とさせていただいており、心からおすすめいたします。

 

そして、それらの本を読むことで、ココロや思考が浄化されるということ。

 

そのことを真逆で例えるならば、もし、ある人が毎日、ホラーや殺人鬼の映画を観ているとしましょう。

では、その人の考え方、ココロの有り様とは? 

そうなのです。その人のココロは、ホラーや殺人鬼映画そのものであり、魔界のココロなのです。思考や心の感情、それら全て、恐怖と狂気の衣を纏ってしまうのです。そのことは、悪影響されている。と言い換えすることもできます。

また、その様に思考や心がダークサイドに偏ってしまったとき、本当に簡単な解決法もございます。先ほどご紹介させて頂いた宗教関連の倫理道徳観について述べられている聖なる本を読み、汚れたココロと思考を掃除、浄化するだけなのです。

 

聖なる書を読むこととは、スワディヤーヤのことを指す

 

そのことは、ヨガでいうシャウチャ(浄化)、スヴァディヤーヤ(読誦)であり、ヤマニヤマなのです。

『毎日、私はお風呂に入ってるからシャウチャできてる』そうです。カラダを清めるのもシャウチャです。同じ様にココロも毎日清められるとより良いでしよう。

スヴァディヤーヤについても、『読誦??聖典を読むこと』と、ヨガ本には書いてあり、それではなんのことやら分かりませんよね。『聖典を読めばどの様な効果があなたにもたらされるのか?』その意味は、ココに私がお伝えしている様に、聖典の類を読んで(読誦)日常に活かすこともできますし、ココロも考え方も正され浄化できる。ということです。

 

聖なる本に書いてある聖なる言葉で、ココロに刺さった魔や闇を『聖で浄化』させるのです。ですから、その名の通り、聖書であり聖典と呼ばれているのです。 

また、そのことこそ、聖なる本の聖なる効果であり、この私の文章とは、ココロの浄化、調整にとても効く、図書の聖なるクスリがあり、それをどの様に用いて、どの様に服用するかのか。という説明書、注訳であり、処方箋なのです。

 

日本の寺でお坊さんの道徳観の入った説法を聞き納得と共にココロは浄化、そして同時にアジャストメント(調整)されているのです。

また、西洋の映画で、枕元のベッドサイドテーブルに聖書を入れておき、寝る前に読んだり、読み聞かせてもらったりしているシーンがよくあるではないですか?あれは、1日の終わりにココロのお掃除をしているさま。なのです。客観的に観ても非常に効果高く、教養高い素晴らしい習慣なのです。

 

ということで、その様な本をみなさまが手に取る機会になれば嬉しく思います。そして、それらの教えを客観的に学び、そのことを心の中にしっかりと根付かせることが重要ですし、なにより、私たちの日常において実際に倫理道徳を実践していくことこそが、一番重要なことなのです。

 

それは、生きていく上での人生の実践用の叡智の光であるからなのです。

 

総じて言えることは、ないがしろにしがちな倫理道徳観を重視し、オープンマインドであることが、健全な社会の実現に繋がるのです。そのためにも、私たちは、それぞれが自分自身の倫理道徳観を見つめ直すことも必要なのです。

倫理道徳とは、私たちが社会的参照にあるときに機能するのです。

最後に、オーム心理教事件について、二度と繰り返すこと無き様に祈ると共に、心からの追悼の意を捧げたいと思います。

Om

坂東イッキ 2023/04/26

 

 

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画像は2020年、沖縄某紫陽花園にて
シャムヌキムドラ

関連記事

 

✳︎ 以下に関連記事へのリンクを掲示します。
ヤマニヤマの修練についての考察シリーズです。
より良い理解の為、番号順にご一読くださいませ。

① ヨガを用いたココロの浄化の重要性 : 問題提起
② それはその源から来たのです (おすすめ!)
ヤマニヤマは善悪のモノサシ
ヤマニヤマ倫理道徳-実践の道  (おすすめ!)
聖パタンジャリが規定したアシュタンガの主題とは?
哲人達の辿り着く先
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