それはその源から来たのです。

南インドの朝焼けに浮かぶ明けの明星

それはその源から来たのです。

 

 

その不浄思考はどこから来たのですか?

それは、その源から来たのです。

 

 

止めどもなくココロの水面に湧き上がる考えや思い。

それらの全ては、源の投影に過ぎない。

 

源が汚れているのなら、浮かび上がってくる考えや思いも、それは汚れていて当然なのであり、

その浮かび上がった考えをヴィパサナ瞑想法では、ありのままに描写(サティ)し、その観念が河の流れに流される様に過ぎ去り消えゆくのを待つのである..

 

しかしながら、この同じ問題に対して、パタンジャリチルドレンである私達ヨギは、その本質的な改革方法として、腐敗した思考の源を正すのである。

ヨガの根本経典である、聖パタンジャリの編纂したヨガスートラのアシュタンガ(八支則)の基盤となる、ヨギの倫理/道徳的規範である、ヤマ、ニヤマを日常的に行じることにより、源が浄化されるのである。

源が浄化されてしまうことより、湧き上がる考えや思いのは、当然ながら、不浄なものから浄化されたモノへと変わりゆき、

それらの思いから発せられる”言葉”も、浄化された品位ある美しきものへと変わるのである。

そのことは、実にシンプルで的を得たプラティカル思考浄化の実践法なのである。

 

✳︎ 今回の記事の集点となるヤマ、ニヤマについて、わからない、知らないという方がいらっしゃるようであれば、その意味を検索され、ご理解されておくと良いでしょう。

 

 

その不浄言葉はどこから来たのですか?

それは、その源から来たのです。

 

 

浮かび上がる考えや感情、ココロの動きは直接的にアジャストメントやコントロールは出来ない

しかしながら、その源となる、根本を正すことで制御も可能となるのである。

私たちヨギは、ヤマ、ニヤマを行じて、根本的にココロや思考をアジャストメントし、浄化するのである。

源が正されることにより、思考、言葉、行動、習慣、性格、それらの全てが変わりゆき、いずれは不浄のボスキャラであるトラウマ、エゴに至る迄

ヨギの内面世界の全ては、ヤマ、ニヤマの聖なる行いにより浄化されて行くのである。

源を正すこと。それこそが、ヨギのココロや感情、考え方のコントロール方法なのである。

また、源を正す。というそのココロの浄化法は、直接的ではなく、しかし間接的であり、またしかしながらその様にピッタリとくる言葉を当て嵌めるのならば.. 

本質的な内面世界に於ける自己改革の実践方法なのである。

 

 

その不浄行動はどこから来たのですか?

それは、そのから来たのです。

 

 

さて、このブログを見てくれている方々は、ヤマ、ニヤマの内容については、既に勉強された方も多いことでしょうし、また、その概念に関しても良く存じ上げていらっしゃる方も多い事でしょう。

しかしながら、実践的にヤマ、ニヤマをどのように使用すれば良いのか? また、どの様なケースで使用すれば良いのか? ということに関して、多くの人々は、よく理解できていないということも見受けられるのです。

それは、宝の持ち腐れであり。

また、一体なぜそんなコトになったのでしょう?

それは、良く効くクスリを持っているにも関わらず、その服用法や使い道の書いてある、処方箋を持っていないからなのです。

 

そのことをわかりやすく説明するならば..

とても良く効くクスリをあなたは手に入れたとしましょう。

しかしながら、処方箋が無い。どのように使えば良いのか? 服用すれば良いのか? わからないのです。

そのことと同じ様に、ヤマ、ニヤマは、ココロや思考を浄化する為の素晴らしいクスリであるにも関わらず、使用法である処方箋を貰っていないが為に、使用法がわからず、その様は宝の持ち腐れなのです。

 

また、『ヤマ、ニヤマを行えばいいんでしょ。そんなこと知ってるよ』と思われる方もいらっしゃると思うのです。

そうなのです。しかし、そのことを『知っている』ということと『行なっている』ということは全く別のことであり、

聖パタンジャリのアシュタンガに定められた八段階のヨギの修練法とは、いわゆるロジック(卓上の理論)ではなく日常での実践論なのです。

そのことから、実践を差し置き、その事についてとてもよく知っている。だけでは全く意味をなさない理論なのです。

 

さあ、今ここに、私がその処方箋を書いて、あなたに差し上げるとしましょう。

ヨギのトートアライメント(思考基準)であるヤマ、ニヤマを、

自身の善悪の判断基準として自身の考え方の中核に設置し、

そのヤマニヤマの行を、自身のヨガプラクティスと日常生活に用いて行い。

源に対してトートアジャストメント(思考修正)を掛け、

考え方を元から正すこと。そして、浄化すること。

それこそが、ヨギのチッタ(思考と心の作用)のコントロール法なのです。

 

 

その不浄習慣はどこから来たのですか?

それは、その源から来たのです。

 

 

また、『ヤマ、ニヤマをやってカラダが柔らかくなるの? カポタアサナができる様になるならヤル!』

と仰る方もいらっしゃるでしょうし、その様な方にも、良い機会ですし、お伝えしておきましょう。 

 

まず、ヤマ、ニヤマを行っても、全く身体は柔らかくなりません。

やらなくても全く問題ないです。ですから今はそのまま頑張って、アサナをやって行きましょう。

 

これが私の回答です。

 

アサナ修練を幾年数積んで行く内に、自然と自身の内面に関する洞察力や(物事の本質を見抜く、見通すコト)集中力、識別力(アセスメント)、感性、知性も増していきます。

また、そんな日があなたに訪れたのであれば、自身の心に不浄な思いや、負の感情を見つけてしまうこともあるでしょうし、またその様な時に、ヤマ、ニヤマの助けが必要と気づかれることもあるでしょう。そして、その時こそあなたがそれを日常で行うタイミングなのでしょう。

また、場合によっては、瞑想ゴッコの自己の内面世界の中で、今の今までフタをして、見て見ぬ振りをしていたトラウマのバケモノと出会い頭に出くわし、慌てふためくコトにもなるやも知れない..

さて、そんな時、この私の話しを思い出して、或いは読み返して、対処法として用いて頂けたら良いのです。

ヨガをやっていれば、遅かれ早かれ、自己の内面と向き合うその日は、いずれ訪れるのですから..

 

 

その不浄性格はどこから来たのですか?

それは、その源から来たのです。

 

 

聖パタンジャリのアシュタンガの8ステップに於いて、

ヤマとニヤマはチッタ(心の作用と思考)の浄化を担い

アサナは身体浄化を担い、

プラナヤマは身体、チッタ共の浄化を担い

プラティヤハラはチッタの浄化を担い

それら準備段階の修練を経て

ダラナ、ヂィヤナ、サマディーは、魂そのものの浄化を担うのである。

 

この様に、これらの8つの段階は、個人のヨガの実践において、身体、心、魂の浄化と成長の為の実践哲学なのである。

 

 

その不浄トラウマはどこから来たのですか?

それは、その源から来たのです。

 

 

自己のココロの深淵を覗き観た際、ふと見付けてしまった不浄な思いや考え。

 

そのことに対して、なにも戸惑う必要はないのです。

また、慌てふためき、他のクスリや知恵を探し廻る必要もないのです。

 

それは灯台下暗しの如く、あなたの足元に落ちている一冊のヨガスートラを拾い上げ、ありのままに良く良く理解する事こそが、あなたの持つトラウマやエゴ、汚れた考え、思いなどの、一切合切を浄化する為の、一番の解決策なのです。

そのことを、聖パタンジャリは経典ヨガスートラの中に全て啓示してあるのです。

 

またもし、源の浄化をしなければ、たとえあなたが瞑想をしたとしても、ココロの水面に浮かび上がってくるもの不浄なものばかり..

『モノが浮かんでおる』

と、描写し(サティ)、見過ごしても、また浮かび上がってくるものは全て不浄なものばかり、とても瞑想どころでは無いはずなのです。

 

さあ、どうしましょう?

 

不浄の水源地を浄化するしかないのです。

 

一旦、水源地を浄化してしまえば

瞑想中浮かび上がってくるものも、浄化された見過ごすことのできるものばかりとなるのです。

 

そして、大事な事は、その段階に来て初めて、アセスメント(判断、評価)が不要となるのです。

その段階まで修練を終えた、不浄な思いや考えの浮かんでこない内面世界では、アセスメントは、不必要であり、そのことは、敵のいない戦場で戦いなど起こす必要などない様と全く同じことなのです。

静寂で安心な平和の中で、やっと初めて本当の瞑想ができるのです。

そのサットヴァの静寂の中で至高の自己が輝きを放つのです。

✴︎ 端的で正確にお伝えするのであれば、瞑想が更に深まり、その最終局面を迎える際、エゴと魂を見分ける為に”Viveka”/分別知(同じ様な意味合いを持っているが、アセスメントより抽象度の高い概念)を用いて正しく判断を行うシーンもありえる為、サマタ系瞑想では、アセスメントは必要不可欠な要素なのです。

 

この様に、もの事には順序、秩序、通りがあり、

聖パタンジャリは、経典ヨガスートラのアシュタンガの中で、そのことを理論立て、規律立て、順序立てて、構造構築的な八つの段階に、実践教育としてのヨガ学習を規定したのです。

それはヨギの自己探求の手引き書であり、合否の照らし合わせの基準。そして、闇を取り除き叡智の光をもたらす光の道先案内人、グルなのです。

 

 

その純粋笑顔はどこから来たのですか?

それは、その源から来たのです。

 

 

あの暑い暑い夏の日。

 

そのことを、昨日のことの様に私は思い出すのです..

 

齢三十を過ぎた頃、天狗気味のアサナマスターであった私に、深緑に茂る菩提樹の木陰で玉の汗を流しながら、グルジの大きなマナコは熱く熱く、このように諭してくれたのです..

 

No matter how far you go, Always return to Yama and Niyama.

Because the foundation of the yogi is Yama and Niyama.

 

 

例えどこまで行こうとも、

ヤマ、ニヤマに常に立ち戻ること。

 

何故ならば..

 

ヨギの基盤はヤマ、ニヤマ。

 

 

Om

 

 

ヴァイクンタヨガ沖縄
坂東イッキ

 

 

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あとがき

 

今回の文は、今まで私がブログに幾つかの文章として示してきた、

心や思考に対してのヨガの修練法である、ヤマニヤマを用いた実践的な浄化方法についての結論、回答文 になります。

 

前のブログ記事をご覧になられていない方は、この問題への、より良き理解のために、一読されることをお勧め致します。

 

関連記事

 

✳︎ 以下に関連記事へのリンクを掲示します。
ヤマニヤマの修練についての考察シリーズです。
より良い理解の為、番号順にご一読くださいませ。

① ヨガを用いたココロの浄化の重要性 : 問題提起
② それはその源から来たのです (おすすめ!)
ヤマニヤマは善悪のモノサシ
ヤマニヤマ倫理道徳-実践の道  (おすすめ!)
聖パタンジャリが規定したアシュタンガの主題とは?
哲人達の辿り着く先
目で読むココロのお掃除!聖なる読書のススメ

 

 

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画像は2011年、南インド・カルナータカ州フブリにて、朝焼けに浮かぶ、満ち欠けする明けの明星 / 金星

 
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ヴァイクンタヨガ沖縄について

 

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